大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

釧路地方裁判所 昭和29年(行)2号 判決

原告 青木太七

被告 若佐村議会

主文

原告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は昭和二十七年六月十九日被告が原告に対して行つた村長不信任の決議は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求めその請求原因として、

原告は昭和二十七年四月二十六日より若佐村長であつたが、同年六月十六日より同十八日まで同村村有林不正伐採事件現地調査のため、更に同十九日に網走支庁及び網走開発建設部に事務打合せのため夫々出張していたので、被告議会の臨時会の招集については助役出倉定夫(以下単に助役)に対し原告が右出張より帰来するを待つて行うように命じておいたにもかかわらず、その不在中何等同人にはかることなく村長たる原告名義を使用して被告議会の昭和二十七年度第五回臨時村議会(以下単に本件議会)を招集し、六月十九日開会された本件議会において被告議会は議案第一号として提出された村長不信任案を村長たる原告に一言の弁明の機会も与えないでこれを可決したのであるが、右原告の出張不在は「村長に事故あるとき」又は「村長が欠けたる場合」に該当しないから右招集は助役が村長たる原告名義を冒用した違法なもので権限なきものの行つた無効なものである。仮りに原告の前記出張不在が「村長に事故あるとき」或は「村長の欠けたる場合」に該当し、右招集が適法なる招集権者によりなされたものであるとしてもその場合の招集は助役自ら職務代理として行ふべきものであるから本件議会招集者の表示は「若佐村長職務代理助役出倉定夫」とすべきであるのに単に「若佐村長青木太七」として恰も原告が村長として招集したかの如く表示しているので右招集手続は違法である。従つて本件議会招集手続は無効に帰するので此の手続によつて招集され開会された本件議会において被告のなした村長不信任の議決は無効であると陳述し、原告の主張に反する被告の答弁はすべて否認すると述べた。

(証拠省略)

被告訴訟代理人は先づ昭和二十七年八月五日執行せられた若佐村長の選挙によつて桐山修が有効に村長に当選したので原告が本訴により村議会の決議の無効を争ふとしても実質上無益であるから訴の利益がないと述べ、仮りに訴の利益があるとしても主文同旨の判決を求めるとし、その答弁として、原告が昭和二十七年四月二十六日より若佐村長であつたこと、同六月十六日村長たる原告名義で招集され同十九日開会された本件議会において被告によつて村長不信任決議が可決されたことは認めるが、本件議会の招集につき助役に対し原告が同人の出張より帰来するまで待つて招集するよう命じたとの点は不知、爾余の原告主張の事実は否認する。本件議会の招集は助役が村長代理としてなしたものでなく招集権者たる村長の行つたものである。即ち同年五月十六日若佐村議会は地方自治法第百七十八条により村長たる原告の不信任議決をしたところ、同村長は即時議会の解散を命じたので六月八日村議会議員の投票同九日開票が行われ二十二名の同村議会議員の当選が確定しここに解散後新らしい被告議会が成立したが、やがて招集せらるべき被告議会は村長の去就を決すべき重大意義を有し且つ急速を要するものであつたところ、同月十日被告議会議員佐藤幸吉外十五名から村長たる原告に対し議会解散後始めての被告議会の臨時会の招集請求がなされ、これにもとづいて村長たる原告名で六月十六日附をもつて同月十九日を会日とする本件議会を招集し、同十九日開会された本件議会において村長たる原告の不信任議決がなされ、その決議は即日議長より原告に通知されたから同人は地方自治法第百七十八条第二項により当然退職したものである。仮りに原告が助役に対し本件議会の招集を命じなかつたとしても、町村助役は村長の補助機関として村長の印鑑を保管し、村長の事務全般にわたり原則として村長の職務を代行するものであるから、村長と助役との間に如何なる命令あるや否やに関係なく、村長名をもつて本件議会の招集が告示された限り適法なる招集である。しかも原告は被告議会が原告に対してなした議決による慰労金を同村より異議なく受領しているのみならず、同年七月十六日告示され同八月五日行われた村長選挙に立候補すべく若佐村選挙管理委員会に届出をなしたので、右の事実は原告自身が本件議会招集を適法なものと認め且つ被告議会のなした決議を承認したものに外ならないと述べた。

(証拠省略)

理由

先ず本件請求における訴の利益の有無について判断するに、成立の真正が推認せられる乙第四号証の三並に証人福島十宜知の証言によりその成立の真正が認められる乙第五号証第六号証によれば、昭和二十七年八月五日執行された若佐村長選挙の結果桐山修が有効に村長に当選したことを認めることができるが、右選挙は同年六月十六日招集せられ十九日開会された本件議会において被告議会がなした村長たる原告に対する不信任決議に因り同人が当然村長たる職を失い若佐村に村長なきに至つたことを前提として施行せられたものであるところ、原告は右招集手続の無効なることを理由として右不信任決議の無効を争つていることは前記摘示の通りであるので、原告としては前記村長選挙は行はれるべきでなく従つて原告がその任期中若佐村長の地位にあることを争つたものであると解することができる。因みに原告の村長の任期は同人が村長に就任した昭和二十七年四月二十六日から同三十年四月二十五日までの四年間であるから、原告は結局その任期中である本件口頭弁論終結時の同年四月十三日当時は若佐村長の地位にあることの現在の法律関係の存否の確認を求めていると解するを相当とするので原告の本件請求は訴の利益がある。次に実体関係について、原告が昭和二十七年四月二十六日より若佐村長であつたこと、同年六月十六日本件議会が原告名義で招集告示され同十九日開会されその議会において村長たる原告の不信任が可決されたことについては当事者間に争がないが、原告は助役が村長たる原告の出張不在中原告にはかることなく、しかも同人の帰来後集するようにとの命令に反して原告名義を冒用して招集し、且つ開会された本件議会において原告に一言の弁明の機会も与えることなく村長たる原告の不信任を可決したものであるが、右招集は権限なきものの招集であるから無効である。従つて無効な招集に基く不信任決議も無効であると主張するに対し、被告は右招集は適法なる招集権者によるものであるから有効で従つて右不信任決議も有効であると抗争するところ、現在地方公共団体はいずれも住民の直接選挙により選ばれた執行機関たる長と議決機関たる議会とがそれぞれ独立の立場において相互に抑制してその均衡と潤和の上に運営されねばならないものであるが、このために執行機関たる長には議会解散権を(但し解散後始めて招集された議会において再度不信任議決がなされた場合を除く)議決機関たる議会に執行機関たる長に対する不信任議決の権限を認めている。而して不信任議決の発案権は議員に専属するものであるとともにその議決は理由の如何を問わず所定の手続によつて行われれば適法有効な議決となるのであるが、議会活動は成立せる議会に対する適法なる招集にもとずくことを要し、右招集権限は執行機関たる長に専属し助役は長の補助機関として活動するのが原則で例外として長に事故あるとき又は長が欠けたるときその職務を代理するので此の場合にのみ議会招集権限がある。そこで本件招集手続が適法有効なものであるか否かについて判断するに、証人渡部音春同影山金男の各証言並に原告本人訊問の結果によれば、原告は村長就任以来毎日朝七時頃(定時出庁時刻は午前八時)に登庁して出勤簿に押印した後は村内各地を視察していて役場に不在勝ちで同人不在中の決済事務は助役が代行していたものであること、昭和二十七年六月十六日より同十八日までは原告は村有林不正伐採調査のため右出勤簿押印(十八日を除く)に登庁した外は同村北牧場の右調査現場に出向いていて役場に不在であつた上更に十九日には網走方面に出張していて当日本件議会に出席していなかつたこと並に原告としては被告議会の招集につき前記村有林不正伐採の調査を完了した後である六月二十四、五日頃を予定していたがこのことについては助役と事前に何等打合せをしたことがないことは認められるが、原告が前記各出張から帰つた後議会を招集するように助役に命じたこと並に助役が被告議会の招集につき原告にはかることなく原告名義を冒用して招集したということはいずれも未だ認めることはできない。そして原告挙示の他の各証拠(甲第六号証の一は証人影山金男の証言により、同第六号証の二は原告本人訊問の結果成立の真正が認められ他の甲各号証の成立は争いがない)の何れを以てしても右認定を左右するに足らないし、却つて被告が利益に援用する成立に争いなき甲第一号証乃至第四号証及成立に争なき乙第一号証並に証人出倉定夫同大島満同片岡丑治の各証言被告代表者佐藤幸吉本人訊問の結果によれば、昭和二十七年五月十六日若佐村議会が原告が村長就任以来一回も村民に施政の方針を明らかにしないこと、しかも村民の幸福をもたらす方針のもち合せがなく若佐村の現状にほど遠い妄想的事項を発言したこと斯くの如きは村民を冒涜するものであつて、村民の代表として村長たる重責を全うすることができないことを夫々理由として村長たる原告の不信任議決をなしたところ、原告は右議会を解散したこと、そして直ちに村議会議員の選挙を行つた結果は二十二名の議員が当選確定して被告議会が成立し、その構成議員佐藤幸吉外十五名が連名の上会議に付議すべき事件を一、議長選挙について、一、副議長選挙について、一、議会常任委員選任についてとした臨時議会招集の請求書を作成し、代表者佐藤幸吉香川嘉太郎が六月十日右請求書を村長に提出すべく役場に来庁したが、当時村長たる原告は役場に不在であつたので助役が右請求書を受理しておいたこと、その後も原告が役場に出勤しないので議会招集の手続が進行しなかつたところ、当時若佐村は議会議員選挙の後をうけて村政上の事務も滞つていたので速やかに議会を開会しなければならないと考えた。助役は議会招集の書類について代決し、六月十六日附で原告名義をもつて本件議会の招集を告示し同時に各議員宛招集通知を発するとともに同役場吏員放送係大島満をしてローカル放送を行はしめ同人は同日午后七時十五分右議会招集の告示につき全村に放送したところ、同日午后八時頃原告より役場に在庁した助役に対し電話連絡があり(電話は大島満が原告からの電話であることを助役に取り次いだ)原告においては現在重要事件の調査中であるからその終了後被告議会を開催する心算である旨伝へ助役においては一日も早く議会を開催しなければならない理由を説明した結果原告においては明日話合ふと言つて電話を切つたこと、翌十七日朝七時頃原告は役場に登庁し右大島満に対し本件議会招集に関する書類の閲覧を要求したため、同人は原告に対し前記議会請求書同六月十六日附村長たる原告名義の若佐村告示第二十一号議会招集告示、同日附各議員宛議会招集通知書等の書類を原告に提出し、同人はそれ等の書類を直接手にとつて見ていたがその他の決済書類は見ようとせずその間約五分間在庁したのち前記北牧場の調査現場に出かけ、同日夕刻に助役に宛て再び電話連絡し前日同様被告議会の招集について話合が行われたが、電話による話合においては何れの場合においても原告は助役に対し既になした招集の告示通り被告議会を招集してはいけない旨を何等語らなかつたこと、従つて助役としては原告が本件議会招集を承認したものと思つていたこと、原告は翌十八日午前九時頃役場に登庁して間もなく退庁しその後は役場に姿を見せなかつたし、傍ら助役は就任以来屡々村長不在勝ちのために議会開催書類を代決し村長名義で議会を招集し、その割合は、昭和二十三年度には六回のうち三回、同二十四年度には七回のうち五回、同二十五年度には七回のうち四回、同二十六年度には十回のうち七回、同二十七年度には十二回のうち九回であることが夫々認められる。してみると原告は予てから自己に対し被告議会によつて再び不信任議決がなされることを怖れて議会解散後始めての被告議会招集の問題に触れることを避けようとつとめていたけれども六月十日前記臨時議会の招集請求があつたこと並に村長たる原告名義で本件招集があつたことを六月十六日午后八時頃知つており乍らこれに対して何等異議或はその他の見解を述べずしかも同月十七日には大島満の示した前記本件議会招集に関する各書類を閲覧しているので結局本件招集は村長たる原告の後閲により決済なされたと考えるのが相当であるので、本件議会の招集は村長たる原告のなした適法なる招集であると認められる。此の点に反する原告挙示の各証拠は之を措信することができないのみならず他に右認定を左右するに足る確証はない。

かくの如く本件議会が有効に招集されたことに因り、被告議会は村長たる原告と独立に活動し得べき状態におかれたのであつて、かかる議会が有効に独立の意思決定機関として活動し得るためには、更に開会がなされることを要するところ、成立に争なき甲第五号証並に前示証人片岡丑治の供述によれば、出席議員中年長議員中谷教治郎が臨時議長の職務を行い前記本件議会招集請求書記載の通りの会議に付議すべき事件に従い議長選挙を行い副議長常任委員の選挙があつたのち、片岡丑治が議長の職務を行うに至つたが、その際出席議員行元信一より村長たる原告の不信任議案が上程され、出席議員二十二名中賛成十九名の多数をもつて右議案は可決されたことが認められ、原告が当日不在であつて、弁明の機会を与えられなかつたとしても何等右議決の効力を左右するものでない。

よつて爾余の判断を待つまでもなく原告の請求は理由がなく失当として棄却を免れないので、訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 橋本金弥 海野賢三郎 井上武次)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例